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渡辺崋山(わたなべかざん)

田原藩士、家老、画家[日本]

(天保12年10月11日没)

1841年 11月23日 死去自刃享年49歳

渡辺崋山 - ウィキペディアより引用

渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日(1793年10月20日) - 天保12年10月11日(1841年11月23日))は、江戸時代後期の武士、画家。
三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。
通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、諱は定静(さだやす)。
号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。
号は他にも全楽堂、寓画堂など。
生涯 誕生と苦難の幼少時代 江戸詰(定府)の田原藩士である父・渡辺定通と母・栄の長男として、江戸・麹町(現在の東京都千代田区の三宅坂付近)の田原藩邸で生まれた。
渡辺家は田原藩で上士の家格を持ち、代々100石の禄を与えられていたが、父定通が養子であることから15人扶持(石に直すと田原藩では27石)に削られ、さらに折からの藩の財政難による減俸で実収入はわずか12石足らずであった。

江戸後期の画家・思想家・三河田原藩士。江戸生。名は定静、通称は登、字は伯登・子安、のち崋山、号に寓画堂・全楽堂等。家老として藩務に精励する傍ら蘭学に親しみ、高野長英・小関三英らと尚歯会を結成。画は白川芝山・谷文晁に学び、種々の画法を研究しながら風俗写生に才をみせ、洋画描法をも摂取して特に肖像画に洞察の深さと筆鋒の鋭さを発揮した。蛮社の獄に連坐した蟄居中、天保12年(1841)歿、49才。 (引用元 コトバンク)