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柳亭種彦

戯作者[日本]

(天保13年7月19日没)

1842年 8月24日 死去享年60歳

柳亭種彦 - ウィキペディアより引用
柳亭 種彦(りゅうてい たねひこ、天明3年5月12日(1783年6月11日)- 天保13年7月19日(1842年8月24日))は、江戸時代後期の戯作者。
長編合巻『偐紫田舎源氏』などで知られる。
生涯 江戸の本所に生まれ、間もなく御徒町へ移った。
幼名は主税、字は敬之。
食禄200俵の旗本の、一人っ子だった。
通称彦四郎、寛政8年(1796年)14歳のとき、父甚三郎が没し、家督を継ぎ、高屋彦四郎知久を名乗った。
食録二百俵。
別号、足薪翁、木卯、偐紫楼。
頑健ではなく、「文武」のうちの「文」にいそしみ、少年期から漢籍に通じた。
歌舞伎、浄瑠璃を好み、それらの脚本を収集し研究し、井原西鶴・近松門左衛門に傾倒した。
狂歌を、はじめ唐衣橘洲に、次いで宿屋飯盛こと石川雅望に学んだ。
雅望は国学の師でもあった。
川柳の、三世川柳(1776 - 1827)の社中に入った。
さらに、23歳のころに妻とした勝子は、国学者加藤美樹の孫で、加藤家の蔵書を自由に読めるようになった。
俳書を集め、漢画を習ったことも、のちの出版に役立った。
凝り性で詮索好きの、学究肌だった。
狂歌の狂名は、はじめ『柳の風成』、のちに『心の種俊』。