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山田顕義(やまだあきよし)

長州藩士政治家、伯爵[日本]

1892年 11月11日 死去享年49歳

山田顕義 - ウィキペディアより引用
山田 顕義(やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人。
諱は顕孝、のち顕義と改めた。
幼名は市之允(いちのじょう)。
号は「養浩斎(ようこうさい)」、「狂痴(きょうち)」、「韓峰山人(かん お(ね) さんじん)」、「不抜(ふばつ)」など。
特に「空斎(くうさい)」と表記されることが多い。
階級は陸軍中将。
栄典は正二位勲一等伯爵。
日本の「小ナポレオン」の異名をもつ。
明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の設立者として、近代日本の法典整備を行なった。
長門国・現山口県萩市出身。
最年少の14歳で入門し、吉田松陰が営む松下村塾最後の門下生となる。
25歳の時に戊辰戦争で討伐軍の指揮をとる。
その際、西郷隆盛から「あの小わっぱ、用兵の天才でごわす」、見事な軍才から「用兵の妙、神の如し」との名言がある。
岩倉使節団の一員としてフランスを訪問した際、ナポレオン法典と出会い、「法律は軍事に優先する」ことを確信し、以後一貫して法律の研究に没頭する。