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柳沢淇園(やなぎさわきえん)

文人画家、漢詩人[日本]

(宝暦8年9月5日没)

1758年 10月6日 死去享年55歳

柳沢淇園 - ウィキペディアより引用

柳沢 淇園(やなぎさわ きえん、元禄16年7月18日7月18日(1703年8月30日) - 宝暦8年9月5日(1758年10月6日))は、江戸時代中期の武士、文人画家、漢詩人。
服部南郭、祇園南海、彭城百川らとともに日本文人画の先駆とされる。
幼名は権之助、名ははじめ貞貴、元服後は里恭(さととも)と名乗る。
後に中国風に修して柳里恭(りゅうりきょう)と名乗ることを好んだ。
代々権太夫と称し、字は広美(こうび)もしくは公美、淇園と号し、ほかに竹渓、玉桂の別号がある。
よく知られた淇園の号は、40歳頃から使用したと推測される。
生涯 生い立ち 里恭は、大老格で甲府藩主で柳沢吉保の筆頭家老であった曽根保挌の次男として、江戸神田橋の柳沢藩邸に生まれる。
父・保挌は 、吉保元服の理髪役を務めるなど最も早から吉保に仕えた股肱の臣で、早期に柳沢姓を許され、五千石の知行と吉保の一字をも与えられるほど寵愛されていた。
このような主君との関係は次世代も続き、里恭の名は吉保の子で主君 吉里の一字拝領した。

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