三岸好太郎(みぎしこうたろう)
洋画家[日本]
1934年 7月1日 死去享年32歳
三岸 好太郎(みぎし こうたろう、1903年(明治36年)4月18日 - 1934年(昭和9年)7月1日)は、日本の洋画家。
戦前のモダニズムを代表する洋画家の1人。
同じ洋画家の三岸節子(旧姓・吉田)は妻、作家の子母沢寛は三岸の異父兄にあたる。
経歴=
三岸好太郎生誕地(豊川稲荷札幌別院の鳥居横)
北海道札幌区(現 札幌市)出身。
祖父・梅谷十次郎は元御家人で、石狩の漁村厚田村の網元だった(子母澤寛の項に詳しい)。
父は橘巌松、母は三岸イシ。
父巌松は旧加賀藩前田氏に仕えた御殿医の家に生まれるも、医学修業中に吉原遊廓通いで身を持ち崩して石狩へ流れ着き、十次郎の営む料理店で働いていたと伝わる。
また、薄野の大妓楼「高砂楼」の番頭だったとも伝わる。
祖父が両親の結婚を許さなかったため、三岸家の戸主である母の姓を名乗る。
1916年に父を亡くしてからは母イシが質屋に住み込みで働き始め、札幌で所帯を持っていた異父兄・梅谷松太郎(子母澤寛)に育てられる。
札幌第一中学校(現・北海道札幌南高等学校)を卒業後、画家を志して1921年に上京。
1923年、第1回春陽展に『檸檬持てる少女』が入選。
翌1924年、第2回春陽展に『兄及ビ彼ノ長女』などを出品、春陽会賞を首席で受賞。
同年、吉田節子と結婚。
初めアンリ・ルソー風の素朴な画風から出発し岸田劉生の東洋趣味への傾倒を経て、やがては中国旅行(1926年)の体験を元にしたエキゾティックでロマンティシ ……
三岸好太郎が亡くなってから、90年と146日が経過しました。(33019日)