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田能村竹田(たのむらちくでん)

絵師・南画家[日本]

(天保6年8月29日没)

1835年 10月20日 死去享年59歳

田能村竹田 - ウィキペディアより引用
田能村竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日) - 天保6年8月29日(1835年10月20日))は、江戸時代後期の南画(文人画)家。
旅を好み日本各地を遊歴。
詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。
幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。
名は孝憲。
字は君彜(くんい)。
通称は竹蔵。
別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・ 藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。
更に斎号(居室の名)に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。
豊後国直入郡竹田村(今の竹田市)の岡藩儒医田能村碩庵の次男として生まれる。
母は水島氏。
禄高12人扶持であったがこれは武士の中ではかなり低く、更に藩の財政難で実際はこの6割程度しか俸禄を得られなかった。
この為竹田は生涯にわたり生活資金の工面に苦労させられることになる。
6歳で素読を始め、11歳で藩校由学館で入学。
成績は極めて優秀だった。
その詩才を見抜いた師の唐橋君山は詩文結社竹田社・米船社の同人に迎えた。