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沢庵宗彭

臨済宗の、大徳寺住持[日本]

(正保2年12月11日没)

1646年 1月27日 死去享年73歳

沢庵宗彭 - ウィキペディアより引用

沢庵 宗彭(たくあん そうほう、澤庵 宗彭、天正元年12月1日(1573年12月24日) - 正保2年12月11日(1646年1月27日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。
大徳寺住持。
諡は普光国師(300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下)。
号に東海・暮翁など。
但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。
紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。
書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。
一般的に沢庵漬けの考案者と言われているが、これについては諸説ある(同項目を参照のこと)。
生涯 出生から大悟まで 天正元年12月1日(1573年12月24日)に秋庭綱典の次男として但馬国出石に生まれる。
父・綱典は但馬国主・山名祐豊の重臣であった。
8歳のとき但馬山名家は織田信長の侵攻に遭い配下の羽柴秀吉に攻められて滅亡し、父は浪人した。
沢庵は天正10年(1582年)、10歳で出石の唱念寺で出家し春翁の法諱を得た。

江戸前期の臨済宗の僧。但馬出石生。法諱は初め季喜、のち宗彭。道号は沢庵。号は冥之・東海・暮翁等。俗姓は秋庭。泉南徳禅寺・南宗寺を経て大徳寺百五十三世に出世、住すること三日で退院し但馬宗鏡寺に隠棲した。寛永五年大徳寺に出世した玉隠宗知の勅許をめぐり幕府の忌諱に触れ、出羽上山に流されたが(紫衣事件)、のち赦されて帰洛。後水尾天皇・徳川家光の厚遇を受けた。家光の命により江戸品川の東海寺を開山。詩歌・俳諧・書画・茶道にも通じた。正保2年(1645)寂、73才。 (引用元 コトバンク)