芸能人・経営者のおくやみ情報

稲垣足穂(いながきたるほ)

作家[日本]

1977年 10月25日 死去急性肺炎享年78歳

稲垣足穂 - ウィキペディアより引用

稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。
1920年代(大正末)から1970年代(昭和後期)にかけて、抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好、エロティシズム、天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表した。
代表作は『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。
生涯= 稲垣は1900年(明治33年)の年末、大阪市船場に歯科医の次男として生まれた。
7歳の頃から謡曲、仕舞を習う。
小学生の時、祖父母のいる明石に移住し、神戸で育った。
小さいころから映画や飛行機などに魅了され、その経験を後の作品に昇華させている。
1914年、関西学院普通部に入学。
同院では今東光と同級になる。
在学時に同人誌『飛行画報』を制作。
1913年(大正2年)5月にアメリカ帰りの飛行家・武石浩玻が挑戦した京阪神都市連絡飛行に強い影響を受けており、1919年(大正8年)の関西学院卒業後に複葉機制作に携わった。
同年夢だった飛行家を目指し上京。
羽田穴守にある日本飛行学校(当時は休止中)を訪問したが、強度の近視のため飛行練習生となることは叶わず、ショックのあまり一度は自殺も考えている。
同年4月、上記飛行学校と同地にある日本自動車学校へ入校。
自動車運転技術を習い運転の免許を取得した。
出版社に原稿を送った後の1921年、佐藤春夫に『一千一秒物語』の原型を送付。
佐藤の知遇を得て佐藤の弟の住まいに転居した。
また ……

稲垣足穂が亡くなってから、47年と354日が経過しました。(17521日)

推定関連画像