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三重野康 氏

元日銀総裁[日本]

2012年 4月15日 死去心不全享年88歳

三重野 康(みえの やすし、1924年3月17日 - 2012年4月15日)は、第26代日本銀行総裁。
来歴・人物 東京都生まれ。
満鉄に勤務した父親の転勤で、生後間もなく 満州に渡り、小学校卒業まで満州で育った。
中学1年から2年の1学期までの1年あまりを大分県の伯母宅で過ごし、大分中学校に通う。
この時の同級生に前大分県知事の平松守彦がいる。
中学2年の2学期から卒業までを満州に戻って地元の鞍山中学を卒業。
当時父は鞍山市長を務めていた。
一高に進む。
三重野自身は、故郷は満州、大分は第二の故郷と話していた。
一高時代の同クラスには、髙木友之助、作家の清岡卓行らがいた。
特に中国文学者で教育者であった髙木と最も親しく、そのつながりで「漢字文化振興会」の会長や「全日本漢詩連盟」(2003年3月発足)相談役を務めている。
また一高の全寮委員長でもあり、有力な大蔵官僚となった同期生に長岡實、大倉真隆などがおり、そのためか日銀を支配下に置いていた大蔵官僚たちも、三重野の前に出ると皆アタマを下げに行っていたという逸話もあった。

金融引き締めを矢継ぎ早に実行して1990年代初めのバブル経済沈静化に尽力し、「平成の鬼平」の異名をとった元日銀総裁の三重野康(みえの・やすし)氏が15日、心不全のため都内の病院で死去した。88歳だった。 

三重野康は、元日本銀行総裁。1924年3月17日〜2012年4月15日。 東京都出身。東京大学法学部卒業。 1947年10月、日本銀行入行。 1989年12月、第26代総裁に就任し、その直後から公定歩合引き上げに着手。金融引き締めによって国民の間に不公平感を広めていた資産価格高騰が終息に向かい、「平成の鬼平」とも呼ばれた。 1994年12月、総裁退任。 2012年4月15日、心不全のため死去。88歳。 (引用元 Hatena Keyword)