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藤原忠実(ふじわらのただざね)

公卿、摂政関白太政大臣[日本]

(応保2年6月18日没)

(ユリウス暦) 1162年 7月31日 死去享年85歳

藤原 忠実(ふじわら の ただざね)は、平安時代後期から末期の公卿。
藤原師通の長男。
日記『殿暦』を残す。
生涯 白河院政期 『栄花物語』の続編の最後(40巻「紫野」)は当時15歳で中納言となった忠実が奈良の春日大社で春日祭を主催して帰京する場面で締めくくられ、忠実の元で摂関家が再び興隆する期待感をもって終わっている。
しかしながら現実には康和元年(1099年)に父の師通が急死した際、22歳で権大納言の忠実は、最年少で摂政となった曽祖父・頼通の26歳という年齢を大きく下回っていたこと(しかも頼通は就任から10年近く父・道長の後見を受けた)に加え、まだ大臣に任官されていなかったことにより、関白には任じられず内覧にとどまった。
また、既に引退していた祖父・師実にも忠実を支える余力はなかった。
ただし、内覧であっても過去には藤原時平や道長のように摂関同様の実権を振るった例もあり、忠実にも挽回の可能性が残されていたが、源義親の濫行や東大寺僧の赤袈裟着用問題では自らの判断を下すことが出来ず、政治的未熟をさらけ出した。