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賀茂真淵(かものまぶち)

国学者歌人[日本]

(明和6年10月30日没)

1769年 11月27日 死去享年73歳

賀茂真淵 - ウィキペディアより引用

賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。
通称三四。
真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。
荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。
賀茂真淵は荷田春満を師とし、『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重、万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。
また、人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、日本の古典にみられ、古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、作為のない自然の心情・態度こそ人間本来のあるべき姿であるとして、古道説を確立した。
弟子の加藤千蔭の伝えるところによれば「外見は普通の人とかなり異なっており、ややもすると明敏さに欠ける頭の回転の鈍い人とも見受けられそうだったが、時々彼の言葉には日本人の真の心が突如として迸(ほとばし)りでた。

1697〜1769年(元禄10〜明和6) 江戸時代の国学者。遠江国伊場村で、賀茂神社禰宜岡部長右衛門の子として生まれる。号は県居。 太宰春台門の渡辺蒙庵に漢学を学んだ後、杉浦国頭の下で歌学を学ぶ。1733年(享保18)頃に江戸に上京し、荷田春満に入門。 真淵が学者としての名声を獲得する契機となったのは、『国歌八論』論争と呼ばれる、春満の甥荷田在満と、八代将軍徳川吉宗の次男である田安宗武との間で取り交わされた議論に、宗武の要求に呼応する形で参画したことである。この論争をきっかけにして、1746年(延享3)に田安家の和学御用として召し抱えられた。 宗武の援助を受け、真淵の研究は進展するようになり、『冠辞考』・『伊勢物語古意』・『源氏物語新釈』などの著書を著した。とりわけ『冠辞考』は、『万葉集』の枕詞=冠辞の音韻・名義などを考察したもので、本居宣長に深く影響を与えた書物として知られる。またこの書は、古代日本の言語を知ることにより、「古人の心ばへ」を深く考察する研究姿勢を真淵自身が体系付けたという意味でも、主著となるものである。 隠居前後する時期にかけて、『万葉考』などを著し、ますますその傾向を深めることになり、晩年には『文意』・『書意』・『語意』・『歌意』・『国意』などのいわゆる「五意考」が成立し、また初学者のために、「古学び」の研究姿勢を説いた『にひまなび』などが著された。これらの書物には、もう江戸期においては、喪失したはずの万葉時代の言語・風俗を「復原」しようとする意図が読み取れる。 そのためには、圧倒的な文化的影響力を有していた「中国 …… (引用元 Hatena Keyword)