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江川坦庵

幕臣、砲術家[日本]

(安政2年1月16日没)

1855年 3月4日 死去享年55歳

江川坦庵 - ウィキペディアより引用

『江川英龍』より : 江川 英龍(えがわ ひでたつ)は、江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。
通称の太郎左衛門(たろうざえもん)、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。
韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多い。
洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させた。
地方一代官であったが海防の建言を行い、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入を果たし、勘定奉行任命を目前に病死した。
生涯 世直し江川大明神 享和元年(1801年)5月13日、江川英毅の次男として韮山で生まれる。
幼名は芳次郎。
江川家は大和源氏の系統で鎌倉時代以来の歴史を誇る家柄である。
代々の当主は太郎左衛門を名乗り、江戸時代には伊豆韮山代官として天領の民政に従事した。
英龍はその36代目の当主に当たる。
父・英毅が長命だった為に英龍が代官職を継いだのは天保6年(1835年)、35歳の時とやや遅い。
この間の英龍はやや悠々自適に過ごしていたようで、時に江戸に遊学して岡田十松に剣を学び、同門の斎藤弥九郎と親しくなり、彼と共に代官地の領内を行商人の姿で隠密に歩き回ったりしている。