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一条兼良

公卿、古典学者[日本]

(文明13年4月2日没)

(ユリウス暦) 1481年 4月30日 死去享年80歳

一条 兼良(いちじょう かねよし)は、室町時代の公卿・古典学者。
名は一般には「かねら」と読まれることが多い。
関白左大臣・一条経嗣の六男。
官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮。
桃華叟、三関老人、後成恩寺などと称した。
病弱であった兄の権大納言・経輔隠居の後を受け応永19年(1412年)元服して家督を継ぐ。
翌年従三位に叙せられて公卿に列し、累進して正長2年(1429年)に左大臣に任ぜられるが、実権は従兄弟の二条持基に握られていた。
永享4年(1432年)には摂政となったが、月余で辞退に追い込まれ、同時に左大臣も辞職を余儀なくされる。
その背景には同年に実施された後花園天皇の元服を巡る兼良と二条持基の対立があった。
その後は不遇をかこったが、学者としての名声は高まり、将軍家の歌道などに参与した。
享徳4年(1455年)頃、『日本書紀纂疏』を著す。
応仁元年(1467年)1月に関白に還補したが、同年9月に応仁の乱が勃発し、一条室町の邸宅と書庫「桃花坊文庫」が焼失した。