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ホンタイジ

清朝第2代皇帝[清]

1643年 9月21日 死去享年歳

ホンタイジ - ウィキペディアより引用

皇太極(ホンタイジ、満州語: ᡥᠣᠩᡨᠠᡳᠵᡳ 転写:Hong taiji)は、清(後金)の第2代皇帝。
君主としての称号は満州語でスレ・ハン(Sure han)、モンゴル語でセチェン・ハーン。
皇太極は皇太子、黄台吉とも表記される。
三田村泰助は明の陳仁錫『山海紀聞』や李朝の『朝鮮王朝實錄 仁祖實錄』などを根拠に、本名は「ヘカン」であったとする説を提示している。
皇太子とも表記されることから、ヌルハチの生前から後継者と目されていたと考える向きもあるが、ヌルハチが死の際にそれに触れていないことと矛盾する。
ヌルハチは自分を部族連合体の長であるとしか考えていなかったので、後継者も自分と同じように周囲の推戴によって選ばれるべきである、と認識していたと考える方が妥当であろう。
史書(『清実録』)にはホンタイジは順当に何事もなく即位したように書かれているが、このあたりの記述には潤色があると考えられる。
なお、「ホンタイジ」という単語は上述の通り「皇太子」や「王」、「福王」等の意を含んでおり、満州族以外のユーラシア大陸北方遊牧民の間で広く使われた君主号の一種であり、彼以外にも「ホンタイジ」を名乗った者は多く、同時代だけを見ても複数いる。

【Hongtaiji】 1592‐1643 中国,清朝の第2代皇帝。在位1626‐43年。廟号は太宗。太祖(ヌルハチ)の第8子。太祖の下でサルフの戦に抜群の功を立てるなど武将の誉れが高く,国政を処理する四大ベイレ(貝勒)の一人であった。即位後ただちに八旗制度の改革に着手し,皇帝の独裁権力の強化に努めた。この改革の完成したのち,1636年改めて皇帝の位につき,国号を大清と称し,改元して崇徳とした。対外面では,即位後,明とひとまず山海関を境界として和議をすすめ,かたや朝鮮に対しては,1627年朝鮮王仁祖を江華島に追い,これを屈服させて和議を結んだ。 (引用元 コトバンク)