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立川談志 氏(たてかわだんし)

落語家・七代目[日本]

2011年 11月21日 死去喉頭がん享年76歳

立川談志 - ウィキペディアより引用

立川 談志(たてかわ だんし)は、落語家の名跡。
7代目(自称5代目)の死後は空き名跡となっている。
これは明治時代の寄席で人気を博していた釜掘りの談志(4代目)が初代を称し、俥屋の談志がそれに倣って4代目と称していたようなので、小ゑんは5代目というのは語呂が良く、さらに師匠5代目柳家小さんと代数が合うので丁度いいということで、5代目を名乗ることになった。
釜掘りの談志を初代と見なした場合、3代目になるはずの談志がなぜ4代目を称していたかというのは、本名恒川駒吉の談志と俥屋の談志の間にはもう一人談志がいたらしいため、その談志を代数に含めていたためではないかと思われる。
また、花咲爺の談志(3代目)を初代とみなしたから5代目となった、とも言われる。
ちなみに、4代目桂文之助が1916年に著した『古今落語系図一覧表』では、のちに宇治新口を名乗った談志が代数に入っておらず、花咲爺の談志が2代目、釜掘りの談志が3代目、本名恒川駒吉の談志が4代目となっている。

落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を行う。喪主は妻則子(のりこ)さん。 1952年、高校を中退して五代目柳家小さんに入門。63年真打ちとなり、五代目立川談志を襲名した。回転の速いしゃべりと毒舌でテレビ番組でも人気者となった。66年に始まった日本テレビ系の「笑点」では初代司会者を務めた。 69年、衆院選に旧東京8区から出馬し落選。71年には参院選全国区で最下位当選し、自民党入党。沖縄開発庁政務次官を務めたが、酒に酔って臨んだ記者会見での問題発言で次官を辞任した。 その後、落語家の活動に力を入れたが、真打ち制度をめぐり、所属していた落語協会を83年に弟子と共に脱退し、落語立川流を創設して家元に就任。常設の寄席に出演できなくなったものの、ホールでの落語会を続け、人気を集めた。落語は「人間の業の肯定だ」として、古典を現代的に究めることにこだわり続けた。 弟子にはテレビの司会などでも活躍する立川志の輔さん、立川志らくさん、古典落語が人気の立川談春さんらがいる。 談志さんは97年に食道がんの手術を受け、がんや持病の糖尿病と闘いながら落語を続けた。3年前には喉頭がんを治療したが、昨年11月に再発。本人の希望で手術はせず、できる限り高座に上がり続けたが、今年3月6日の川崎市での一門会の高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止していた。 (2011/11/23-20:32)

落語家の名跡。現在(2011年11月時点)の家元は七代目である。 ※以下、当代(家元の談志)に関して記述する (引用元 Hatena Keyword)