石橋湛山(いしばしたんざん)
政治家、内閣総理大臣、自由民主党総裁[日本]
1973年 4月25日 死去享年90歳
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。
階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。
位階は従二位。
勲等は勲一等。
大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第10・11・12代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。
内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも3番目の短さである。
早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた(1957年10月20日授与)。
概要=
明治国家のミリタリズム、インペリアリズムは世界の趨勢であったとしても、見落とされてはならないのがデモクラシーの醸成であるとしている。
このことに日本人は誇りを覚えよと言っている。
戦前は『東洋経済新報』等の論壇において、国家として正常な政策と見做されることもあった帝国主義を日本にはそぐわないものと見抜き、国際協調を背景とした貿易・科学による経済安定を提唱した。
戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍した。
保守合同後初めて本格的に実施された自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し、退陣した。
退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした。
湛山の思想は、ヒューマニズム・自由主義であり、在学中、田中王堂のもとでプラグマティズムの影響を受けた ……
石橋湛山が亡くなってから、51年と212日が経過しました。(18840日)