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幣原喜重郎 氏(しではらきじゅうろう)

政治家、内閣総理大臣[日本]

1951年 3月10日 死去病死享年78歳

幣原喜重郎 - ウィキペディアより引用

幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう、1872年9月13日(明治5年8月11日) - 1951年(昭和26年)3月10日)は、日本の外交官、政治家。
位階は従一位。
勲等は勲一等。
爵位は男爵。
外務大臣(第40・41・43・44代)、貴族院議員、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第44代)、第一復員大臣(初代)、第二復員大臣(初代)、復員庁総裁(初代)、副総理、衆議院議員、衆議院議長(第40代)などを歴任。
来歴・人物 生い立ち 大阪府門真一番村(現・門真市)の豪農の家に生まれた。
兄・坦は教育行政官、台北帝国大学初代総長。
大阪城そばにあった官立大阪中学校から、第三高等中学校(首席卒業)を経て、1895年(明治28年) 帝国大学法科大学卒業。
戦前 1915年(大正4年)に外務次官となり、ワシントン会議においては全権委員をつとめる。
外務大臣になったのは1924年(大正13年)の加藤高明内閣が最初であった。
以降、若槻内閣(1次・2次)、濱口内閣と憲政会→立憲民政党内閣で4回外相を歴任した。

しではらきじゅうろう [生]明治5(1872).8.11.大阪[没]1951.3.10.東京大正・昭和期の外交官,政治家。1895年帝国大学(→東京大学)法科大学法律学科を卒業,農商務省に入ったが翌1896年外交官試験に合格,外務省に転じた。仁川(→インチョン(仁川)直轄市)をふりだしにロンドン,アントウェルペンの領事館に勤務。イギリス大使館参事官,オランダ公使を経て1915年外務次官,1919年駐米大使。1921~22年のワシントン会議には日本首席全権として参加した。1924~27年第1次・第2次加藤高明内閣,第1次若槻礼次郎内閣の外務大臣として協調外交を展開(→幣原外交)。1926年貴族院議員に勅選され,1929~31年浜口雄幸内閣,第2次若槻内閣でも外相として欧米との協調をはかり,軍革新派から軟弱外交として攻撃された。戦後の1945年10月内閣総理大臣に就任,天皇の「人間宣言」をみずから起草し,ダグラス・マッカーサー元帥の指示のもと憲法改定にあたるなど(→憲法制定交渉),戦後日本に多大な影響を与えた。1946年4月に首相を辞任し,以後1947年3月まで日本進歩党総裁,1946年5月第1次吉田茂内閣が成立すると国務大臣,復員庁(→復員省)総裁。1947年衆議院議員となり1949年には衆議院議長に就任,在職のまま没した。著書に『外交五十年』(1951),伝記に『幣原喜重郎』(幣原平和財団編,1955)がある。 (引用元 コトバンク)