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寺内正毅(てらうちまさたけ)

政治家、内閣総理大臣、韓国統監、元帥陸軍大将、伯爵[日本]

1919年 11月3日 死去心臓肥大、糖尿病享年67歳

寺内正毅 - ウィキペディアより引用

寺内 正毅(てらうち まさたけ、旧字体: 寺內 正毅、嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。
階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。
書の雅号は桜圃、魯庵。
「ビリケン宰相」の異名を持つ。
陸軍大臣(第15・16・17代)、外務大臣(第22・31代)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第22代)などを歴任した。
明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。
以来、第1次西園寺内閣や第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。
その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。
韓国併合後は朝鮮総督に就任した。
のちに内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任した。
なお、元帥府に列せられていることから、階級を呼称する際には元帥の称号を冠して「元帥陸軍大将」と称される。

寺内正毅(1852年-1919年) 長州出身.軍人 西南戦争で負傷後は軍政面に関わる. 1898年:初代教育総監、 陸軍大学校長、第一次・第二次桂内閣陸軍大臣等を歴任 新動員令の制定、師団増設、下士官制度の改正、日英陸海軍協定の締結等を手掛けた 1906年:陸軍大将、 1907年:翌年子爵に叙せらる. 1910年:朝鮮併合により初代朝鮮総督.伯爵になる 1916年:元帥府に列せらる. 1916年10月:大隈重信内閣の後を受け首相.(超然内閣を組織して公明正大、援段政策を掲げるが,しかし実態はは軍備拡張、シベリア出兵、それに伴う増税・言論弾圧などで世論から軍閥政治と非難される) 1918年9月:米騒動事件で内閣は崩壊、辞職. 1919年:没 (引用元 Hatena Keyword)