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山本権兵衛(やまもとごんべえ)

薩摩藩士政治家、内閣総理大臣海軍大将、伯爵[日本]

1933年 12月8日 死去前立腺肥大症享年81歳

山本権兵衛 - ウィキペディアより引用

山本 権兵衛(やまもと ごんのひょうえ、旧字体: 山本 權兵衞、1852年11月26日(嘉永5年10月15日) - 1933年(昭和8年)12月8日)は、日本の武士、海軍軍人、政治家。
階級・位階・勲等・功級・爵位は海軍大将従一位大勲位功一級伯爵。
諱は盛武。
出生時より若輩時にかけて使用した本称は「ごんべえ」であるが、進水式で祝詞用に神主がつけた名前であり、宮中でも使用したごんのひょうえが公称である。
海軍大臣(第11・12・13代)、内閣総理大臣(第16・22代)、外務大臣(第37代)などを歴任した。
薩摩藩士を経て海軍軍人となり、第2次山縣内閣では海軍大臣として入閣し、以降、第4次伊藤内閣、第1次桂内閣でも海軍大臣を務め、大臣として日露戦争下の大日本帝国海軍を支えた。
その後、第16および第22代の内閣総理大臣を務めた。
また、第2次山本内閣では外務大臣も務めた。
生涯 生誕から海軍兵学寮卒業まで 薩摩国鹿児島郡の鹿児島城下加治屋町(現・鹿児島市加治屋町)に薩摩藩士で右筆及び槍術師範を務めていた山本五百助盛珉の六男に生まれる(幼名も権兵衛)。

やまもとごんのひょうえ [生]嘉永5(1852).10.15.薩摩,鹿児島[没]1933.12.9.東京薩摩藩士,海軍軍人,政治家。鹿児島藩の右筆,槍術師範役の子として生れ,薩英戦争,鳥羽・伏見の戦い,戊辰戦争に従軍。明治維新後昌平黌に入り,1874年海軍兵学寮を卒業,76年ドイツ軍艦『ビネタ』に乗組み,教育を受けたあと,78年帰国。『天城』『高雄』『高千穂』の各艦長,海軍省主事,軍務局長,大本営海軍参謀などを歴任し,その間日清戦争の作戦指導にあたった。98年中将で第2次山県有朋内閣の海相となり,以後1906年まで歴代内閣に留任し,海軍拡張計画の推進,日露戦争の遂行に尽力,海軍部内に強固な勢力をつくった。13年護憲運動のなかで倒れた第3次桂太郎内閣の跡を継いで内閣総理大臣として組閣,薩摩閥と海軍と政友会の連合により,山県有朋らの長州閥と陸軍の連合に対抗した。政党の進出を有利にし,軍部大臣現役制の廃止や中華民国承認などを行なったが,翌年シーメンス事件が起って総辞職。退役後,23年関東大震災の直後に,政友会とも離反して超然内閣をつくったが同年12月,摂政(裕仁皇太子,のちの昭和天皇)が狙撃される虎ノ門事件が起り,その責任をとって総辞職した。 (引用元 コトバンク)