訃報新聞 - 有名人・経営者のおくやみ情報

大隈重信(おおくましげのぶ)

佐賀藩士政治家、参議、内閣総理大臣、早稲田大学総長、侯爵[日本]

1922年 1月10日 死去前立腺がん享年85歳

大隈重信 - ウィキペディアより引用
大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日(1838年3月11日) - 大正11年(1922年)1月10日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家、教育者。
位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。
政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・10・13・28代)、農商務大臣(第11代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。
早稲田大学の創設者であり、初代総長である。
生涯 生い立ち 佐賀城下会所小路(現:佐賀市水ヶ江)に、佐賀藩士の大隈信保・三井子夫妻の長男として生まれる。
幼名は八太郎。
大隈家は、知行300石を食み石火矢頭人(砲術長) を務める上士の家柄であった。
重信は7歳で藩校弘道館に入学し、佐賀の特色である『葉隠』に基づく儒教教育を受けるが、これに反発し、安政元年(1854年)に同志とともに藩校の改革を訴えた。
安政2年(1855年)に、弘道館を南北騒動をきっかけに退学(後に復学を許されたが戻らず)。
この頃、枝吉神陽から国学を学び、神陽が結成した尊皇派の「義祭同盟」に副島種臣、江藤新平らと参加した。