芸能人・経営者のおくやみ情報

天知茂 氏(あまちしげる)

俳優歌手[日本]

(芸名は、中日ドラゴンズを日本一に導いた天知俊一監督と杉下茂投手からとった)

1985年 7月27日 死去くも膜下出血享年55歳

天知茂 - ウィキペディアより引用

天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。
本名は臼井 登(うすい のぼる)。
別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。
芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。
愛知県名古屋市出身。
東邦商業学校卒業。
来歴= 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。
高校卒業後、1949年に松竹へ。
大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。
2年間、通行人などをこなしたが解雇される。
1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。
同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。
同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
仕出しやちょい役が続いたが、1954年、蟻プロ制作の低予算映画『恐怖のカービン銃』で初主演。
その後も脇役ばかりであったが、大蔵貢が社長に就任すると、経費削減の為、給料の高いスター級の俳優とは契約を打ち切り、脇役俳優に役が回ってきた。
1957年(昭和32年)、『暁の非常線』で2度目の主演。
悪役俳優として注目されるようになったが、当人は二枚目役を望んでいたので不満だった。
1959年、映画『東海道四谷怪談』で監督の中川信夫より民谷伊右衛門役に抜擢され、迫真の演技力により注目される。
……

天知茂さんが亡くなってから、39年と128日が経ちました。(14373日)

推定関連画像