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谷文晁(たにぶんちょう)

画家[日本]

(天保11年12月14日没)

1841年 1月6日 死去享年79歳

谷文晁 - ウィキペディアより引用
谷文晁(たに ぶんちょう、宝暦13年9月9日(1763年10月15日) - 天保11年12月14日(1841年1月6日))は、江戸時代後期の日本の画家。
名は正安。
はじめ号は文朝・師陵、後に文晁とし字も兼ねた。
通称は文五郎または直右衛門。
別号には写山楼・画学斎・無二・一恕。
薙髪して法眼位に叙されてからは文阿弥と号した。
江戸下谷根岸の生まれ。
生涯 出自 祖父の本教ははじめ下役人であったが経済的手腕に優れていたため立身し民政家として聞こえ、田安家に抜擢され治績を残した。
父麓谷も田安家家臣となり漢詩人として名を知られた。
このような文雅の家系に育った文晁は文才を持ち合わせ、和歌や漢詩、狂歌などもよくした。
菊池五山の『五山堂詩話』巻3に文晁の漢詩が掲載されている。
画業 12歳の頃 父の友人で狩野派の加藤文麗に学び、18歳の頃 中山高陽の弟子 渡辺玄対に師事した。
20歳のとき文麗が歿したので北山寒巌 につき北宋画を修めた。
鈴木芙蓉にも学んだとされるが確かではない。
その後も狩野光定から狩野派を学び、大和絵では古土佐、琳派、円山派、四条派などを、さらに朝鮮画、西洋画も学んだ。