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光格天皇

第119代天皇[日本]

(天保11年11月18日崩御)

1840年 12月11日 死去享年69歳

光格天皇 - ウィキペディアより引用

光格天皇(こうかくてんのう、明和8年8月15日(1771年9月23日) - 天保11年11月18日(1840年12月11日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日) - 文化14年3月22日(1817年5月7日))。
幼名を祐宮(さちのみや)という。
諱は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。
傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。
実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
系譜 閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子。
母は大江磐代(鳥取藩倉吉出身の医師岩室宗賢の娘)。
践祚前の安永8年11月8日(1779年12月15日)に危篤の後桃園天皇の養子となり、儲君に治定される(実際には天皇は前月中既に崩御しており、空位を避けるために公表されていなかった)。

第一一九代天皇。閑院宮典仁親王の第六皇子。幼称祐宮、名は師仁のち兼仁。後桃園天皇崩御の際、同天皇の養子となり、安永九年即位。博学能文で知られ、作詩、管弦に長じた。また朝儀再興に力を入れ、幕府に働きかけて古制の復活に努め、在位中に石清水社・賀茂社の臨時祭を再開した。また実父典仁親王に太上天皇の尊号を宣下しようとして幕府の反対に遭い断念を余儀なくされた「尊号事件」は後の尊王思想に大きな影響を与えた。天保11年(1840)崩御、69才。 (引用元 コトバンク)