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正親町天皇(おおぎまちてんのう)

第106代天皇[日本]

(文禄2年1月5日崩御)

1593年 2月6日 死去享年歳

正親町天皇 - ウィキペディアより引用

正親町天皇(おおぎまちてんのう、永正14年5月29日(1517年6月18日) - 文禄2年1月5日(1593年2月6日))は、第106代天皇(在位:弘治3年10月27日(1557年11月17日) - 天正14年11月7日(1586年12月17日))。
諱は方仁(みちひと)。
系譜 後奈良天皇の第二皇子。
母は、参議万里小路賢房の娘、吉徳門院藤原栄子。
典侍:藤原(万里小路)房子(清光院)(?-1580) - 万里小路秀房女 第二皇女:永高女王(宝昌院)(1540-1551) - 大聖寺門跡 第三皇女(1543-?) 第一皇子:誠仁親王(陽光院)(1552-1586) - 父に先立って死去 皇女(1562-1567) - 母は推測 典侍:目々典侍 - 飛鳥井雅綱女 皇女:春齢女王(1549-1569) - 大聖寺門跡 皇女:永尊女王(1563?-1571) - 大聖寺門跡 典侍:大典侍(御伊茶) - 万里小路賢房女 第一皇女(1539-1543) 猶子 和仁親王(後陽成天皇) - 実は孫(誠仁親王第一王子) 系図 即位 弘治3年(1557年)、後奈良天皇の崩御に伴って践祚した。

室町時代末期〜安土桃山時代前期の天皇。 応仁の乱以降の朝廷は貧窮の極みで、践祚するも武将らの援助を受けるまで即位式が挙げられなかった。 この天皇の代に織田信長、豊臣秀吉らが天下統一のために天皇を利用しようと援助しはじめるとようやく財政が安定してきた。 ちなみに、正親町天皇の子孫で臣籍降下し源氏を賜ったものを正親町源氏といい、最後の源氏である。 (引用元 Hatena Keyword)