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後堀河天皇(ごほりかわてんのう)

第86代天皇[日本]

(天福2年8月6日崩御)

(ユリウス暦) 1234年 8月31日 死去享年23歳

後堀河天皇 - ウィキペディアより引用
後堀河天皇(ごほりかわてんのう、建暦2年2月18日(1212年3月22日) - 天福2年8月6日(1234年8月31日))は、鎌倉時代の第86代天皇(在位:承久3年7月9日(1221年7月29日) - 貞永元年10月4日(1232年11月17日))。
諱は茂仁(とよひと)。
高倉天皇の第二皇子の守貞親王(後高倉院)の第三皇子。
母は、持明院基家の娘、北白河院・陳子。
承久3年(1221年)の承久の乱により、鎌倉幕府は後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇の三上皇を配流し、仲恭天皇を退位させた。
次代皇位継承者には、乱の首謀者である後鳥羽上皇の直系子孫を除外し、後鳥羽上皇の兄・守貞親王(行助入道親王)の三男であり、出家していなかった茂仁王(後堀河天皇)を即位させた。
茂仁王も十楽院僧正仁慶の弟子となり、すでに十楽院に入室していたが、まだ正式に出家していなかった。
立太子礼を経ずして、仲恭天皇廃位後同日の承久3年7月9日(1221年7月29日)践祚、同年12月1日(1222年1月14日)即位。