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順徳天皇(じゅんとくてんのう)

第84代天皇[日本]

(仁治3年9月12日崩御)

(ユリウス暦) 1242年 10月7日 死去享年歳

順徳天皇 - ウィキペディアより引用

順徳天皇(じゅんとくてんのう)は、鎌倉時代の第84代天皇(在位:承元4年11月25日(1210年12月12日) - 承久3年4月20日(1221年5月13日))。
諱は守成(もりなり)。
後鳥羽天皇の第三皇子。
母は、藤原範季の娘・重子(修明門院)。
後鳥羽天皇と、寵妃藤原重子(修明門院)の皇子として生まれる。
正治元年(1199年)1月に親王宣下。
正治2年(1200年)4月に土御門天皇の皇太弟となる。
穏和な土御門天皇とは対照的に激しい気性の持ち主だと言われていて、後鳥羽上皇から大きな期待を寄せられていたためである。
摂政である九条良経が自分の娘(立子)を土御門天皇に入内させようとすると、後鳥羽上皇はそれを中止して東宮(順徳天皇)の妃にするように命じ(『愚管抄』巻6)、更に長年朝廷に大きな影響を与えてきた後白河法皇の皇女で歌人として名高かった式子内親王を東宮の准母にしようとして彼女の急死によって失敗に終わると、その代わりとして上皇自身の准母であった殷富門院(式子の姉)を准母として(『猪隈関白記』建仁元年12月18日条)、上皇の後継者としての地位強化が図られている。

鎌倉時代前期の天皇。諱は守成(もりなり)。父は後鳥羽天皇。 壇ノ浦合戦後、しばらく草薙剣は欠けたままであったが、順徳天皇即位に際して伊勢神宮より次代のものが奉じられた。 父であり治天の君でもあった後鳥羽上皇と承久の乱に参加するため、子・仲恭天皇に譲位。 しかし敗れ、順徳上皇自身は佐渡に流刑、子の仲恭天皇は即位も認められずに廃されてしまう。 (引用元 Hatena Keyword)