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高倉天皇(たかくらてんのう)

第80代天皇[日本]

(治承5年1月14日崩御)

(ユリウス暦) 1181年 2月6日 死去享年21歳

高倉天皇 - ウィキペディアより引用

高倉天皇(たかくらてんのう、応保元年9月3日(1161年9月23日) - 治承5年1月14日(1181年2月6日))は、平安時代末期の第80代天皇(在位:仁安3年2月19日(1168年4月9日) - 治承4年2月21日(1180年3月18日))。
諱は憲仁(のりひと)という。
後白河天皇の第7皇子。
母は皇太后平滋子(建春門院)。
安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。
母・平滋子は平清盛の妻・平時子の異母妹であり、政界の実力者・清盛の義理の甥にあたる事に加えて、当時政治方針を巡って対立した二条天皇によって院政停止状態に置かれていた後白河院の不満から、まだ皇子のなかった二条天皇の後継に擁立する動きがあり、誕生直後の9月15日、叔父の平時忠と清盛の弟・平教盛は二条天皇により解官されている。

たかくらてんのう [生]応保1(1161).9.3.京都[没]養和1(1181).1.14.京都第80代の天皇(在位1168~80)。名は憲仁。後白河天皇の第7皇子。母は平時信の娘,尊称皇太后建春門院滋子。仁安1(66)年六条天皇の皇太子となり,同3年後白河法皇の院政下に即位。平清盛の最盛期にあたり,天皇は名目にすぎなかった。しかも院と清盛との対立は激化し,法皇が平氏の権を押えようとしたため憤激した清盛は,法皇を鳥羽殿に幽閉。清盛の女婿である天皇は深くこれを憂え,治承4(80)年中宮建礼門院平徳子所生の安徳天皇に譲位,翌年没した。笛をよくしたという。陵墓は京都市東山区清閑寺陵。 (引用元 コトバンク)