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二条天皇(にじょうてんのう)

第78代天皇[日本]

(永万元年7月28日崩御)

(ユリウス暦) 1165年 9月5日 死去享年歳

二条天皇 - ウィキペディアより引用
二条天皇(にじょうてんのう、康治2年6月18日(1143年7月31日) - 永万元年7月28日(1165年9月5日))は第78代天皇(在位:保元3年8月11日(1158年9月5日) - 永万元年6月25日(1165年8月3日))。
諱は守仁(もりひと)。
後白河天皇の第一皇子。
母は、大炊御門経実の娘で、源有仁の養女・贈皇太后懿子。
雅仁親王(後の後白河天皇)の長男として生まれる。
生母・懿子が出産直後に急死したことで、祖父である鳥羽法皇に引き取られ、その后の美福門院に養育された。
近衛天皇が即位しており、同じく美福門院の養子として重仁親王(崇徳上皇の長男)がいたために皇位継承の望みは薄く、僧侶となるために9歳で覚性法親王のいる仁和寺に入った。
その後、孫王(二条天皇)は仏典をよく読みこなし「ちゑふかくおはしましけり」と評判になった。
仁平3年(1153年)9月、近衛天皇は重病となり、関白・藤原忠通は鳥羽法皇に「雅仁親王の息童」への譲位を奏請した。
鳥羽法皇はこの提案を幼主を擁立して政を摂り威権を専らにしようとする忠通の謀略と看做し、忠通の父である藤原忠実も雅仁親王が黙っているはずがないと指摘して「関白狂へるか」と非難している。