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後一条天皇(ごいちじょうてんのう)

第68代天皇[日本]

(長元9年4月17日崩御)

(ユリウス暦) 1036年 5月15日 死去享年歳

後一条天皇 - ウィキペディアより引用

後一条天皇(ごいちじょうてんのう、寛弘5年9月11日(1008年10月12日) - 長元9年4月17日(1036年5月15日))は、平安時代中期の第68代天皇(在位:長和5年2月7日(1016年3月18日) - 長元9年4月17日(1036年5月15日))。
諱は敦成(あつひら)。
一条天皇の第二皇子。
母は藤原道長女中宮彰子。
その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。
長和5年2月7日(1016年3月24日)、8歳で即位したため、道長が摂政となり権勢を振るった。
道長の娘で叔母にあたる威子を中宮とし、(外戚の地位を藤原氏御堂流以外に渡すまいという藤原頼通と母彰子の意向により)この時代には珍しく他の妃を持たなかったが、皇子女は内親王二人のみで世継ぎの皇子にはついに恵まれぬまま、29歳の若さで崩御した。

ごいちじょうてんのう [生]寛弘5(1008).9.11.京都[没]長元9(1036).4.17.京都第68代の天皇(在位1016~36)。名は敦成(あつひら)。一条天皇の第2皇子。母は藤原道長の娘彰子。道長の意により三条天皇の皇太子となり,長和5(16)年践祚し,次いで即位した。摂政は外祖父にあたる道長。寛仁2(18)年道長の娘威子が入内し,同年,皇后となり,道長の3人の娘が同時に后位について世にまれなこととされた。「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と歌った道長の全盛時代であった。陵墓は京都市左京区吉田神楽岡町の菩提樹院陵。 (引用元 コトバンク)