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足利義教(あしかがよしのり)

室町幕府第6代将軍[日本]

(「嘉吉の乱」で赤松氏に謀殺される、嘉吉元年6月24日没)

(ユリウス暦) 1441年 7月12日 死去暗殺享年48歳

足利義教 - ウィキペディアより引用

足利 義教(あしかが よしのり、異体字:足利義敎)は、室町時代中期の室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 - 1441年)。
第3代将軍・足利義満の五男。
母は側室の藤原慶子で、第4代将軍・足利義持の同母弟。
僧侶時代は義圓(ぎえん、新字体:義円)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。
生涯 将軍就任まで 応永元年(1394年)6月14日、足利義満の五男として生まれた。
幼名は春寅。
応永10年(1403年)6月、青蓮院に入室し、応永15年(1408年)3月4日に得度して門跡となり義圓(義円)と名乗った。
同じ日に異母弟の足利義嗣が従五位下に叙爵されており、義圓は義満の後継者候補から外れた。
応永20年(1413年)頃には准后宣下を受けている。
応永26年(1419年)11月に153代天台座主となり、「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた。
その後一時大僧正も務めた。
将軍就任 第5代将軍・足利義量は将軍とは名ばかりで実権は父の足利義持が握っていたが、応永32年(1425年)に義量が急死した後も、僧体の義持が引き続き政治を行なった。

室町幕府第六代将軍。 足利義満の三男。足利義持の同母弟。 梶井門跡に入室予定であった足利義嗣が父義満の手元に戻されるのと引き換えに青蓮院門跡に入室。天台座主・大僧正となるが、兄義持の急死を受けて義持の後継者候補の一人になり、籖引きの結果後継者となる。 還俗し義宣と名乗るが、「世を忍ぶ」に通じることを嫌い、義教と改名する。かねて危篤であった称光天皇の死に際し、伏見宮家の彦仁王を擁立し、大覚寺統の皇位継承を阻む。 有力守護大名の相続問題への介入や、旧南朝勢力・鎌倉公方らの抵抗勢力を討つなど、専制化を推し進めるが、招かれた先の赤松満祐の屋敷にて酒宴の最中に暗殺された。(嘉吉の乱) (引用元 Hatena Keyword)