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足利義詮

室町幕府第2代将軍[日本]

(貞治6年12月7日没)

(ユリウス暦) 1367年 12月28日 死去享年38歳

足利義詮 - ウィキペディアより引用
足利 義詮(あしかが よしあきら)は、南北朝時代の室町幕府第2代将軍。
初代将軍足利尊氏の嫡男。
母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室の赤橋登子。
生涯 幼少時から将軍就任まで 元弘3年(1333年)、伯耆国船上山にて挙兵した後醍醐上皇討伐のために父・高氏(尊氏)が鎌倉幕府軍の総大将として上洛した際、母・登子とともに北条家の人質として鎌倉へ留め置かれた。
高氏が丹波国で幕府に反旗を翻し、京都の六波羅探題を攻略すると、幼い千寿王(義詮)は足利家家臣に連れ出され鎌倉を脱出し、新田義貞の軍勢に合流し鎌倉攻めに参加した。
この際千寿王は、父の名代として、家臣らの補佐により、鎌倉攻め参加の武士に対し軍忠状を発付し、後に足利氏が武家の棟梁として認知される端緒を作る。
これが新田義貞と足利高氏の関係が悪化する元となる。
建武の新政では、叔父の直義に支えられて鎌倉に置かれ、尊氏が建武政権から離反すると、父とともに南朝と戦い、主に鎌倉において関東を統治した。