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惟康親王

鎌倉幕府第7代将軍[日本]

(嘉暦元年10月30日没)

(ユリウス暦) 1326年 11月25日 死去享年63歳

惟康親王(これやすしんのう)は、鎌倉幕府第7代征夷大将軍。
6代将軍宗尊親王の嫡男。
生涯 相模国鎌倉に生まれる。
文永3年(1266年)7月、宗尊親王が廃されて京都に送還されたことに伴い、3歳で征夷大将軍に就任した。
初めは親王宣下がなされず惟康王と呼ばれていたが、征夷大将軍に就任したのちに臣籍降下して源姓を賜与され、源惟康と名乗る(後嵯峨源氏)。
今日では宮将軍の一人として惟康親王と呼ばれることが多いが、実は将軍在職期間の大半を源惟康すなわち源氏将軍で過ごしていた。
これは、当時の蒙古襲来(元寇)という未曽有の事態に対する、執権・北条時宗による政策の一環であったとされ、時宗はかつての治承・寿永の乱あるいは承久の乱を先例として、将軍・源惟康を初代将軍・源頼朝になぞらえ、時宗自身は北条義時を自称することで、御家人ら武士階級の力を結集して、元に勝利することを祈願したのだという。

これやすしんのう [生]文永1(1264).4.29.鎌倉[没]嘉暦1(1326).10.30.京都鎌倉幕府7代将軍(在職1266~89)。父は後嵯峨天皇の第2皇子で第6代将軍となった宗尊親王。母は摂政藤原兼経の娘宰子。文永3(66)年父宗尊親王が北条時宗に追われたあとをうけ,3歳で征夷大将軍となり,文永7(70)年には臣籍に下り勅旨をもって源姓を賜わった。その後左近衛中将,右近衛大将を歴任し,弘安10(87)年親王に復して二品に叙せられたが,正応2(89)年執権北条貞時に将軍を退けられて京に帰り,嵯峨に住し,出家して生涯を終えた。 (引用元 コトバンク)