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江青 氏

毛沢東の4番目の夫人[日本]

(四人組の一人)

1991年 5月14日 死去自殺享年76歳

江青 - ウィキペディアより引用

江青(こう せい、ジャン・チン、ピンイン:Jiāng Qīng。
1914年3月 - 1991年5月14日)は、中華人民共和国指導者の毛沢東共産党主席の4番目の夫人で政治指導者、女優。
山東省出身。
文化大革命(文革)を主導し「紅色女皇」と呼ばれた。
文革末期には王洪文・張春橋・姚文元と「四人組」を形成し、中国共産党内で影響力を持ったが、毛沢東の死後に逮捕、投獄され、死刑判決を受ける。
無期懲役に減刑ののち、病気治療仮釈放(保外就医)中に北京の居住地で自殺した。
「江青」は女優時からの名乗りであり、出生時の名は李淑蒙とも李進(李進孩)ともいう。
毛沢東の漢詩に「李進同志」に宛てたものがある。
小学校入学時には李雲鶴と名乗る。
「江青」と改名する前には「藍蘋」として広く知られた。
生涯 生い立ち 中華民国の山東省諸城県で生まれ、済南市の中流家庭で育つ。
良家への結婚を求めた母は、李に纏足を施したが、李はすぐにこれを解いた。
1929年、済南で山東省実験劇院に進んだのち青島大学の図書館で副司書として働く。

こうせいJiangQing [生]1914.3.山東,諸城[没]1991.5.14.北京中国の政治家。毛沢東夫人。本名李進,号は雲鶴,旧名李青雲。1930年代に藍蘋の芸名で上海演劇,映画界に活躍し,革命的演劇を通じて政治に関心をもち,中国共産党に入党。38年延安のマルクス・レーニン学院に入学。39年毛沢東と結婚,江青と改名。49年10月中ソ友好協会理事。50年文化省映画事業指導委員会委員。62年スカルノ訪中の際,初めて毛夫人として公式の席に出席。64年第3回全国人民代表大会山東省代表。この頃演劇,映画を中心とする文化芸術活動の調査を進め,張春橋,姚文元らと協力して京劇改革の指導をし,文化芸術戦線から文化大革命の指導的地位に進んだ。66年2月林彪に委託され,解放軍部隊で文芸座談会を開き「綱要」を発表。同年8月中央文革小組第一副組長。同8月紅衛兵大集会を司会。陳伯達らとともに紅衛兵の指導にあたった。67年4月解放軍文革小組顧問。69年4月九全大会で中央政治局委員に選ばれた。極左路線を推進するうち,76年10月,故毛沢東の方針,政策を改竄し歪曲したうえ党主席の地位をねらったとの理由で,張春橋,王洪文,姚文元とともに逮捕され,「四人組」反党集団の一人として77年7月の十期三中全会で党籍を永久に剥奪され,党内外のすべての職務を解任された。「林彪・江青反革命集団」裁判で81年1月死刑判決(執行猶予2年)を受け,服役中に自ら命を絶った。 (引用元 コトバンク)