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末松謙澄(すえまつけんちょう)

政治家[日本]

(伊藤博文の女婿)

1920年 10月5日 死去享年66歳

末松謙澄 - ウィキペディアより引用

末松 謙澄(すえまつ けんちょう、安政2年8月20日(1855年9月30日) - 大正9年(1920年)10月5日)は、明治・大正時代のジャーナリスト・政治家・歴史家。
子爵。
幼名は千松(または線松)。
帝国学士院会員。
生涯 豊前国前田村(後に福岡県行橋市)に大庄屋末松房澄(通称七右衛門、号は臥雲)・伸子の4男として生まれる。
慶応元年(1865年)に地元の碩学村山仏山の私塾水哉園で漢学と国学を学び、明治4年(1871年)に上京して佐々木高行の元へ書生として住み込み、佐々木の娘・静衛がグイド・フルベッキの娘に英語を教わっていた縁で、フルベッキ家に居候となっていた高橋是清と親交を結んだ。
高橋から英語を教わる代わりに漢学の教授を引き受けて互いに勉強する日々を送り、明治5年(1872年)に東京師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)へ入学した。
しかし学校生活に不満を感じて同年に中退、高橋と協力して外国新聞の翻訳で生計を立てつつ東京日日新聞社へ記事を売り込み、明治7年(1874年)に同社の記者となり笹波萍二のペンネームで社説を執筆。