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白河天皇(しらかわてんのう)

第72代天皇[日本]

(大治4年7月7日崩御)

(ユリウス暦) 1129年 7月24日 死去享年77歳

白河天皇 - ウィキペディアより引用

白河天皇(しらかわ てんのう)は、第72代天皇(在位:延久4年12月8日(1073年1月18日) - 応徳3年11月26日(1087年1月3日))。
諱を貞仁(さだひと)という。
後三条天皇の第一皇子。
母は藤原氏閑院流藤原公成の娘で、藤原能信の養女である藤原茂子。
同母妹に篤子内親王(堀河天皇中宮)。
後冷泉天皇の東宮・尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として生まれる。
母茂子、外祖父の能信ともに幼少時に死別し、父尊仁親王は関白の藤原頼通に冷遇されていた。
治暦元年(1065年)に13歳で元服。
治暦4年(1068年)、父帝即位とともに親王宣下を受け、貞仁親王となる。
翌延久元年(1069年)立太子。
同3年(1071年)に関白藤原師実の養女・藤原賢子が参入した。
延久4年(1072年)、20歳で即位する。
関白は置いたが、延久5年(1073年)の後三条上皇の病没後も、父同様に親政を目指し、荘園整理などに力を入れ、永保元年(1081年)宇佐神宮境内地に神宝塔院を建立する等、摂関家の権勢を弱めることに努める。

しらかわてんのう [生]天喜1(1053).6.20.京都[没]大治4(1129).7.7.京都第72代の天皇(在位1072~86)。名は貞仁。後三条天皇の第1皇子,母は中納言藤原公成の娘,贈皇太后藤原茂子。延久4(72)年4月受禅即位。当時摂関家の勢力減退に乗じて実権を伸ばし,応徳3(86)年第3皇子善仁親王(堀河天皇)に譲位したが,その後も上皇として政務をとり,いわゆる院政を開始した。仏教に帰依し,永長1(96)年剃髪して法皇となり,法名を融覚と称したが,依然として院政をとり,堀河,鳥羽,崇徳の3代にわたっている。法勝寺をはじめとする多くの造寺造仏や鳥羽離宮などの大土木工事は富裕な受領層の力によることが多かった。その治世は普通「天下三不如意」の「山法師,賀茂川の水,双六のさい」として伝えられているが,これは当時の世相の混乱を示すものである。陵墓は京都市伏見区竹田浄菩提院町の成菩提院陵。 (引用元 コトバンク)