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公暁(こうきょう)

源頼家の子[日本]

(源実朝を暗殺、建保7年1月27日没)

(ユリウス暦) 1219年 2月13日 死去討死享年20歳

公暁 - ウィキペディアより引用

公暁(くぎょう、こうきょう、正治2年(1200年) - 建保7年1月27日(1219年2月13日))は、鎌倉時代前期の僧侶。
鎌倉幕府2代将軍源頼家の次男(尊卑分脈等)または三男(鶴岡八幡宮寺社務職次第等)。
母は吾妻鏡によれば足助重長(賀茂重長)の娘(源為朝の孫娘)、尊卑分脈等によれば一幡の母と同じく比企能員の娘、ある源氏系図(縣篤岐本『源氏系図』)によれば三浦義澄の娘。
一幡とは異母兄弟または同母兄弟、栄実、禅暁は異母弟、竹御所は異母妹にあたる。
幼名は善哉(ぜんざい)。
第3代将軍源実朝を「父の仇」として暗殺したが、自身も直後に討ち取られた(なお、公暁は実朝の猶子であったため、義理の父親を殺害したことになる)。
名前の読みは「くぎょう」とされてきたが、近年は「こうきょう」である可能性が高いとされている。
生涯 出家 父である将軍頼家は建仁3年(1203年)9月の比企能員の変によって鎌倉を追放され、翌年善哉が5歳の時に北条氏の刺客によって暗殺された。

くぎょう [生]正治2(1200).鎌倉[没]承久1(1219).1.27.鎌倉鎌倉幕府2代将軍源頼家の3男。鶴岡八幡宮寺別当。母は源為朝の孫娘。父横死の翌元久2(1205)年北条政子の計らいで鶴岡八幡宮に入る。建暦1(11)年,同寺別当尊暁の室で落飾。上洛して園城寺で修行後,建保5(17)年尊暁の跡を継いで鶴岡八幡宮寺別当となる。この頃3代将軍源実朝,北条義時らを父の敵と知り,報復の機会をうかがった。承久1(19)年1月27日夜,実朝の右大臣就任拝賀の式典が鶴岡八幡宮で行われたとき,実朝を社前で殺し,乳母の夫三浦義村を頼ったが,逆に三浦氏の家人長尾定景に殺された。この二重暗殺事件は北条義時の謀略であるとも,また三浦義村の陰謀であるともいわれる。 (引用元 コトバンク)