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蘇我馬子(そがのうまこ)

飛鳥時代の貴族[日本]

(ユリウス暦) 0626年 6月19日 死去享年歳

蘇我 馬子(そが の うまこ)は、飛鳥時代の政治家、貴族。
邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。
敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年に亘り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築く。
系譜 生年は不詳であるが、名前の「馬子」は午年生まれであることに因む可能性もあり、『公卿補任』に「在官五十五年」とあることから、550年の庚午年前後であろうと推定する人もいる。
父は蘇我稲目。
姉に蘇我堅塩媛(欽明天皇妃)、『日本書紀』では妹に蘇我小姉君(欽明天皇妃。
なお『古事記』では「小兄比売」は堅塩媛のおばとされる)。
妻は『日本書紀』では物部弓削大連(物部守屋)の妹、『紀氏家牒』・『石上振神宮略抄』神主布留宿禰系譜料では物部守屋妹の「太媛」、『先代旧事本紀』天孫本紀では物部鎌足姫大刀自(父は物部守屋の異母弟石上贄古大連、母は物部守屋同母妹の布都姫)とある。

そがのうまこ [生]?[没]推古34(626).5.20.大和古代の中央豪族。稲目の子。蝦夷(えみし)の父。敏達天皇のとき大臣となり,大連(おおむらじ)物部守屋と朝政をとった。崇仏の可否をめぐって守屋らと対立し,諸皇子,諸臣を味方に引入れて,用明2(587)年排仏派を殺し,朝廷における地位を確立した。その後,自身の擁立した崇峻天皇を殺して推古天皇を立て,聖徳太子とともに朝政をとった。推古4(596)年法興寺を建立して子の徳善を寺司とした。また太子とともに『天皇記』『国記』などを録した。家が飛鳥川のほとりにあり庭中の小池に小島があったことから島大臣(しまのおおおみ)ともいわれた。 (引用元 コトバンク)