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田宮謙次郎 氏

プロ野球選手[日本]

2010年 5月5日 死去脳内出血享年82歳

田宮謙次郎 - ウィキペディアより引用
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
プロ入り前 旧制下館商業卒業後は日本大学に進学し、東都大学リーグでは投打兼任で活躍。
1947年秋季には打率.427で首位打者を輝く。
柔道にも精を出し、二段の腕前だった。
1948年のシーズン終了後に大阪タイガースが大学中退・プロ入りを勧めて交渉を行い、最終的に3年契約を結んだが、阪神との交渉を終えて実家に戻ると翌日には読売ジャイアンツの関係者が入団交渉に来るとの電報が届けられていた。
田宮は茨城出身ということもあり巨人ファンで、三原脩監督自ら交渉に訪れた巨人側も「まだ仮契約の段階。
撤回できる」と熱心に誘ったが、田宮は「最初に声をかけてくれたから」とそのまま大阪に入団した。
阪神時代 入団当初は投手として活躍。
1年目の1949年から11勝を挙げ、将来のエースとして期待された。
1950年3月16日の対国鉄スワローズ戦では9回二死まで1人の走者も出さなかったが、27人目の打者の中村栄の打球が藤村富美男の判断ミスにより内野安打となり、日本初の完全試合どころかノーヒットノーランも逃す結果となってしまった。