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槇有恒 氏(まきゆうこう)

登山家[日本]

(日本隊としてマナスル初登頂)

1989年 5月2日 死去享年96歳

槇有恒 - ウィキペディアより引用

槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年(明治27年)2月5日 - 1989年(平成元年)5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。
日本山岳会設立者・会長(2期)、日本山岳協会会長・名誉会員を歴任し、ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させた。
近代アルピニズムの開拓者・紹介者。
位階は従四位。
文化功労者、仙台市名誉市民。
父・槇武は新潟県の士族であったが、幕末・維新期に仙台藩が越後国長岡藩と友好的であったことや、福澤諭吉の推薦などによって、有恒が生まれる頃は『奥羽日日新聞』主幹として仙台に赴任していた。
本籍地は東京都文京区。
宮城県師範学校付属小学校、仙台第二中学校(現、宮城県仙台第二高等学校)を経て、1911年(明治44年)、慶應義塾大学予科に入学する。
1914年(大正3年)、慶大教授の鹿子木員信とともに設立した日本山岳会に入会し、翌1915年(大正4年)には慶應義塾山岳会を結成している。

まきありつね [生]1894.2.5.仙台[没]1989.5.2.神奈川登山家。1917年慶應義塾大学卒業。アメリカ,イギリス,スイスに留学し,新しい登山技術を日本に紹介し,近代登山の発展に大きく貢献した。1925年カナダのマウントアルバータ(3619m)の初登頂に成功し,次いで1956年第3次日本マナスル登山隊の隊長としてネパールに遠征,世界有数の高峰マナスル(8125m)初登頂を成し遂げた。同1956年文化功労者として表彰された。主著『山行』(1923),『マナスル登頂記』(1956),『ピッケルの思い出』(1958),『私の山旅』(1968)。日本人初の英国山岳会員。 (引用元 コトバンク)

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