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円空(えんくう)

行脚[日本]

(元禄8年7月15日示寂、全国に「円空仏」を残す)

1695年 8月24日 死去享年64歳

円空 - ウィキペディアより引用

円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の木食僧(廻国僧)・仏師・歌人。
特に、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。
円空は生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5300体以上の像が発見されている。
円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。
多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。
その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。
その内愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数える。
また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。
多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。
円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。
生涯 出生から出家 群馬県富岡市の一之宮貫前神社(ぬきさきじんじゃ)旧蔵の「大般若経」断簡(現在は千葉県山武郡芝山町のはにわ博物館所蔵」)には「壬午年生美濃国圓空」と記され、円空は壬午年=寛永9年(1632年)の出生で美濃国(現岐阜県羽島市または郡上市美並町)の生まれであるされる。

えんくう 円空 1632‐95(寛永9‐元禄8)   江戸初期の遊行造像僧。美濃国(岐阜県羽島市上中町)の生れ。 若くして出家、尾張国(愛知県)師勝村の高田寺で金剛・胎蔵両部の密法を受け、諸国遊行の旅にでる。 1664年(寛文4)ころまで美濃地方にいて名古屋荒子観音寺などで造像,65年蝦夷(えぞ)地に渡る。 74年(延宝2)には志摩半島、その後は美濃・飛騨地方に入り、袈裟山千光寺や山間僻地(へきち)に 多くの仏像をのこす。 89年(元禄2)には伊吹山、日光などに遊行、翌90年ふたたび美濃・飛騨地方にもどって 晩年の円熟した彫像を刻む。 生涯、東日本を遊行し、造像活動をつづけた。 円空の没年は岐阜県関市の弥勒寺にある墓碑銘から明らかであり,生年については不明であったが、 上野国(群馬県)一宮の貫前(ぬきさき)神社旧蔵の写経の断簡に「壬申生美濃国円空(花押)」と あることから、1632年の生れであることが判明した。 円空は12万体の造像を発願して,多くの木彫仏を特異な彫法で刻んだ。 現存作だけでも5000体を数える。丸木の原材をいくつかに割り,割った面を巧みに生かして、 そこに岩肌のような面(プラン)の構成を生み、正面性を強調した。その「鉈(なた)ばつり」といわれる 荒彫り彫法の生むバイタルな表出は、現代造形の根底を刺激して大いに注目された。 平凡社「世界大百科事典」 丸山 尚一 2005年3月、神戸大丸にて円空展が開催された。 (引用元 Hatena Keyword)

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