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川合玉堂 氏(かわいぎょくどう)

日本画家[日本]

1957年 6月30日 死去享年85歳

川合玉堂 - ウィキペディアより引用
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、本名:川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)、1873年(明治6年)11月24日 - 1957年(昭和32年)6月30日)は、日本の明治から昭和にかけて活躍した日本画家。
来歴・人物 愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)に、筆墨紙商の長男として生まれる。
12歳頃より絵に親しみ、京都にてはじめ望月玉泉門下、後に幸野楳嶺門下で円山・四条派を学ぶ。
「玉堂」と号するのは1890年(明治23年)、17歳のとき。
この際「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」は第3回内国勧業博覧会に入選している。
1896年(明治29年)、23歳のとき上京し橋本雅邦に師事する。
岡倉覚三(天心)、雅邦、横山大観らの創立した日本美術院には1898年(明治31年)当初より参加。
1900年(明治33年)頃からは私塾「長流画塾」を主宰、1907年(明治40年)には第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、また1915年(大正4年)からは東京美術学校日本画科教授、1917年(大正6年)には帝室技芸員に任じられ日本画壇の中心的存在の一人となる。