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川端康成 氏(かわばたやすなり)

作家、文芸評論家[日本]

1972年 4月16日 死去自殺享年74歳

川端康成 - ウィキペディアより引用

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。
大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。
大阪府出身。
東京帝国大学国文学科卒業。
大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。
西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った。
その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた。

1899年6月14日-1972年4月16日 日本初のノーベル文学賞受賞作家、小説家。大阪市天満此花町生まれ。 幼くして両親を亡くし、祖父母と共に大阪府下三島郡へ転居した。その後、8歳で祖母、16歳で祖父が亡くなり、母の実家に引き取られた。1917年に第一高等学校に入学。1920年、東京大学英文科に入学するが、翌年国文科へ転科。大学時代に第 6 次の「新思潮」を発行し、そこで発表した作品をきっかけに、菊池寛に認められ、交流を持つようになり、文壇への道が開けた。 1924年に大学を卒業し、横光利一らとともに同人誌『文芸時代』を創刊。この同人誌には、新感覚派(感覚的にとらえた現実を知的に構成していく作風)と呼ばれた、新進作家が集まった。 1968年にノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺から、逗子マリーナの仕事場で72歳でガス自殺をとげた。 さまざまなインタビュー番組の中で自分は「怠け者」であり、川端文学は「怠け者の文学」であると語る。1968年のインタビューに同席した三島由紀夫は「剣道で言えば一番強いタイプで、無構えの構えですね。」と解説している。 (引用元 Hatena Keyword)