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松平定信(まつだいらさだのぶ)

大名、老中首座[日本]

(文政12年5月13日没)

1829年 6月14日 死去享年72歳

松平定信 - ウィキペディアより引用

松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。
陸奥白河藩第3代藩主。
定綱系久松松平家第9代当主。
江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。
生涯 出生 宝暦8年(1758年)12月27日、御三卿の田安徳川家の初代当主・徳川宗武の七男として生まれる。
実際の生まれは12月26日の亥の半刻(午後10時ころ)であったが、田安徳川家の系譜では27日とされ、また「田藩事実」では12月28日とされている。
宝暦9年(1759年)1月9日に幼名・賢丸(まさまる)と命名された。
生母は香詮院殿(山村氏・とや)で、生母の実家は尾張藩の家臣として木曾を支配しつつ、幕府から木曾にある福島関所を預かってきた。
とやの祖父は山村家の分家で京都の公家である近衛家に仕える山村三安で、子の山村三演は采女と称して本家の厄介となった。
とやは三演の娘で、本家の山村良啓の養女となる。
宗武の正室は近衛家の出身であるため、とやも田安徳川家に仕えて宗武の寵愛を受けた。
定信は側室の子(庶子)であったが、宗武の男子は長男から四男までが早世し、正室の五男である徳川治察が嫡子になっていたため、同母兄の六男・松平定国と1歳年下の定信は後に正室である御簾中近衛氏(宝蓮院殿)が養母となった。

まつだいらさだのぶ [生]宝暦8(1758).12.27.江戸[没]文政12(1829).5.13.江戸江戸時代後期の大名。幼名は賢丸。号は楽翁,風月翁,花月翁。田安宗武の第3子で,8代将軍徳川吉宗の孫。安永3(1774)年白河藩主松平定邦の養子となり,天明3(1783)年家督を継ぎ,飢饉により崩壊に瀕した藩財政を建て直し名君と称された。同7年老中首座となり,田沼意次のあとをうけて,幕政の建て直しをはかり,寛政の改革を断行したが,多くの反対にあい,寛政5(1793)年老中を辞し,以後は藩政に専念し,著作に従事した。朱子学を好み,老中時代には,柴野栗山らを登用して,「寛政異学の禁」を発した。主著に『花月草紙』や『宇下人言』ならびに『修行録』(1822),『国本論』(1781)がある。 (引用元 コトバンク)