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野中広務 氏(のなかひろむ)

政治家[日本]

2018年 1月26日 死去享年94歳

野中広務 - ウィキペディアより引用

野中 廣務(のなか ひろむ、1925年(大正14年)10月20日 - )は、日本の政治家。
京都府船井郡園部町町長(2期)、京都府副知事、衆議院議員(7期)、自治大臣(第48代)、国家公安委員会委員長(第56代)、内閣官房長官(第63代)、沖縄開発庁長官(第38代)、自由民主党幹事長などを歴任。
1943年春、旧制京都府立園部中学校(後の京都府立園部高等学校)を卒業し、大阪鉄道局の職員として採用され、大阪・梅田の大鉄局業務部審査課に配属された。
ここで当時の局長だった佐藤栄作(後の首相)と出会う。
地方政治 青年団活動に身を投じ、同じく各地の青年団運動を行っていた竹下登(後の首相)、浜田幸一らと活動を通じて知り合う。
衆院議員・田中好の秘書を経て、園部町議会議員(3期)、園部町長(2期)として町政に携わった。
町長時代には京都府町村会の会長や政府税制調査会の委員なども務めた。
その後、府政に進出し、京都府議会議員(3期)を務める。
京都府議の12年間は野党議員として社会党及び共産党などを与党とする蜷川虎三革新府政と対峙した。

日本の政治家。1925年10月10日京都府船井郡園部村(現南丹市)生まれ、2018年1月26日に京都市内の病院で死去した。92歳。1983年の初当選以降2003年まで衆議院議員を7期続け、情報収集や政局観に長(た)け、政敵に舌鋒(ぜっぽう)鋭く迫る政治手法から「政界の狙撃手」の異名をとった。内閣官房長官や自民党幹事長を務め、農業や郵政などのいわゆる「族議員」として活躍した保守政治家だが、自民党ハト派の系譜を引いて平和や外交について戦後民主主義の価値を重視する姿勢を示した。政界引退後も安倍政権の憲法改正に向けた強硬な動きに懸念を示すなど政治的な発信を続けていた。 旧制京都府立園部中学校(現京都府立園部高等学校)を卒業後、日本国有鉄道大阪鉄道局に就職、1945年に陸軍に召集され四国で終戦を迎え復員、復職。51年に園部町町議会議員選挙に当選、52年に鉄道局を退職、後に退職の理由は職場で受けた部落差別により政治を目指したためだとする。53年には保守系代議士(当時自由党)田中好の私設秘書となり、58年に無所属で園部町長に当選。67年には京都府議会議員となり自民党に入党。78年蜷川虎三知事引退後の自民党林田悠紀夫京都府政で副知事に就任した。83年には自民党田中派の後押しで、衆議院旧京都2区補欠選挙に当選、57歳にして中央政界へ進んだ。田中・竹下派の「若手」として存在感を強め、93年の細川政権では下野した自民党にあって首相の献金疑惑追及で急先鋒(きゅうせんぽう)を担った。94年に自社さ連立の村山政権で自民党が政権に復帰すると自治大臣兼国家公安委員長として初入閣。98年7月に発足した小渕内閣で官房長官を務め、99年 …… (引用元 コトバンク)