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徳川綱吉(とくがわつなよし)

第5代江戸幕府将軍[日本]

(宝永6年1月10日没)

1709年 2月19日 死去享年63歳

徳川綱吉 - ウィキペディアより引用

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。
生涯 3代将軍・徳川家光の四男として江戸城に生まれる。
幼名は徳松(とくまつ)。
慶安4年(1651年)4月、三兄の長松(のちの徳川綱重)とともに賄領として近江、美濃、信濃、駿河、上野から15万石を拝領し家臣団を付けられる。
同月には家光が死去し、8月に長兄の徳川家綱が将軍宣下を受ける。
承応2年(1653年)8月に家綱の右大臣昇進にあわせて二人の弟は元服し、偏諱(「綱」の字)を受けて長松は綱重、徳松は「綱吉」とそれぞれ名乗った(「松平右馬頭綱吉」と松平姓を称したとされる)。
同時に従三位・左近衛中将・右馬頭に叙任。
明暦3年(1657年)、明暦の大火で竹橋の自邸が焼失したために9月に神田へ移る。
寛文元年(1661年)8月、上野館林藩主として城持ちとなったことで所領は25万石となる。
12月には参議に叙任され、この頃「館林宰相」と通称され、徳川氏を名乗ったと考えられる(館林徳川家の創設)。
幕府から家臣が付属されており、誕生後から館林藩主となるまで380人近くが派遣された。

江戸幕府第五代将軍。生没年(1680-1709) 三代将軍家光の四男。母は京堀川の八百屋お玉(桂昌院)。長じて上州館林藩主となり、兄の四代将軍家綱に世嗣がなかったことから、その養子に迎えられ将軍となった。 「生類憐れみの令」と呼ばれる動物愛護のための諸法令を定めたことで知られる。 愛知県岡崎市に徳川将軍ゆかりの大樹寺があり、そこに生前の身長と同じ高さの位牌があるがその高さが124cmしかないことより、小児症であったといわれている。 (引用元 Hatena Keyword)