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萩原朔太郎

詩人作家[日本]

1942年 5月11日 死去急性肺炎享年57歳

萩原朔太郎 - ウィキペディアより引用

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。
大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
生涯 誕生から学生時代 群馬県東群馬郡北曲輪町(現:前橋市千代田町)に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれた。
名前の朔太郎は、長男で朔日(ついたち)生まれであることから、命名された。
1893年(明治26年)に群馬県師範学校附属小学校に入学。
この頃から神経質かつ病弱であり、「学校では一人だけ除け者にされて、いつも周囲から冷たい敵意で憎まれている。
」と孤独を好み、一人でハーモニカや手風琴などを楽しんだ。
師範学校附属小学校高等科を卒業後、1900年(明治33年)に旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)入学。
この時代に従兄弟萩原栄次に短歌のことを教わる。
校友会誌に『ひと夜えにし』と題してはじめて短歌五首を発表。
在学中に級友と共に『野守』という回覧雑誌を出して短歌を発表する。
作品には与謝野晶子の影響が見られ、1903年(明治36年)に与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首掲載され、石川啄木らと共に「新詩社」の同人となる。

はぎわらさくたろう [生]1886.11.1.前橋[没]1942.5.11.東京詩人。1910年第六高等学校中退。北原白秋門下の新進として作詩活動を始め,また室生犀星の詩に感動して親交を結んだ。16年犀星と『感情』を創刊,詩的主体の真実としての感情を重んじる口語自由詩を制作し,恩地孝四郎,山村暮鳥らも加えて感情詩派を形成した。17年官能的な神経の戦慄と近代的な孤独を,音楽性に富む口語表現でうたった処女詩集『月に吠える』を刊行,近代詩に一時代を画した。その後も,アフォリズム集『新しき欲情』(1922),『青猫』(23),『純情小曲集』(25)を出版,『氷島』(34)発表の翌年『四季』の指導的存在に迎えられ,近代日本を代表する詩人として尊敬を一身に集めた。ほかに評論『虚妄の正義』(29),選詩集『宿命』(39)など。 (引用元 コトバンク)