芸能人・経営者のおくやみ情報

金田一京助 氏

言語学者、民俗学者[日本]

1971年 11月14日 死去老衰享年89歳

金田一京助 - ウィキペディアより引用

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。
アイヌ語の研究で有名で、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。
岩手県盛岡市四ツ家町(現・本町通二丁目)出身。
國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。
日本学士院会員。
日本言語学会会長(二代目)。
東京帝国大学より文学博士。
栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。
盛岡市名誉市民。
歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。
長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。
東京帝国大学の教授で恩師の上田万年の勧めで樺太アイヌの言語の研究を始めた。
しかし、当時はアイヌ語の研究者がほとんどいない時代で、言語学の聞き取り調査では最も重要な言葉の一つである「ここは何処?」ですら何と言うのかよく分らない有様だった。
そこで金田一は思案の末、訳の分からない絵を描いた紙をアイヌの子供たちに見せ、その反応から「何?」という言葉を聞き出すことに成功。

1882年(明治15年)5月5日〜1971年(昭和46年)11月14日。岩手県盛岡市出身。 アイヌ・アイヌ語研究で知られる言語学者。後継に知里真志保がいる。また、石川啄木の親友でもあった。 横溝正史の名探偵「金田一耕助」の苗字は、この人から。 司馬遼太郎の『オホーツク街道』(「街道をゆく」38)に紹介がある。 金田一京助は日露戦争がはじまったとし(一九〇四年)に東大文科に入学し、言語学科をえらんだ。このとしにこの学科に入った学生は、かれ一人だった。なにしろこの科は、毎日ギリシャ語とラテン語の予習復習が大変で、たいていの学生が敬遠したものらしい。  学問の英雄時代の幕開けのころでもあったらしい。  金田一の一年先輩に、日本の国語学を躍進させた橋本進吉がいたし、また琉球語を主題にし、のちに“沖縄学の父”といわれるようになった沖縄出身の伊波普猷もいた。さらには、朝鮮語の最初の科学的研究者になる小倉進平もいた。  ほかにも、“英雄たち”がいた。金田一京助の『私の歩いて来た道』(講談社)によると、助教授の藤岡勝二が蒙古語・満洲語の専門家で、また一年あとで入ってくる後藤朝太郎が、中国語学をやることになる。  アイヌ語研究をやる者だけがいなかった。言語学科の主任教授の上田万年(かずとし)博士は腹をすえかねたのか、講義のとき、 −アイヌは日本にしか住んでいない。アイヌ語研究は、世界に対する、日本の学者の責任ではないか。  という旨のこといった。金田一はこのとき自分の生涯の道を決めた。 (引用元 Hatena Keyword)