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円山応挙(まるやまおうきょ)

絵師[日本]

(旧字表記・圓山應擧、寛政7年7月17日没)

1795年 8月31日 死去享年63歳

円山応挙 - ウィキペディアより引用

円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期~後期の絵師。
近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
本姓は藤原、後に源、姓は円山、名は岩次郎、後に主水。
夏雲、雪汀、一嘯、仙嶺、僊斎、星聚館、鴨水漁史、攘雲、洛陽仙人と号す。
石田幽汀の門人。
享保18年(1733年)、丹波国桑田郡穴太(あのお)村(現・京都府亀岡市)に農家の次男として生まれた。
穴太は、西国三十三所の札所寺院である穴太寺があることで知られる。
少年時代のことはあまり詳しくわかっていないが、遅くとも10代の後半には京へ出て、狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家、石田幽汀の門に入っている。
20代の修行期の頃にはいわゆる「眼鏡絵」の制作に携わっていたことが知られる。
この頃、京都四条通柳馬場の尾張屋中島勘兵衛という玩具商に勤めていた。

近代日本絵画への展開の素地を築いた江戸時代のなかばに活躍した絵師(1733〜95) 新たな「写生」の概念を確立し、わが国の従来の絵画観を一変させた。 虎の絵を得意とした。 (引用元 Hatena Keyword)