芸能人・経営者のおくやみ情報

中山みき(なかやまみき)

宗教家・天理教教祖[日本]

1887年 2月18日 死去享年90歳

中山みき - ウィキペディアより引用

中山 美支(なかやま みき、寛政10年4月18日(1798年6月2日) - 明治20年(1887年)2月18日)は、日本の宗教家、天理教教祖。
明治11年11月1日に天理教教会本部より出版された「みかぐらうた」複製本の初版では著者は「奈良県平民 故中山美支」となっているが、現在の天理教では「中山みき」が公式表記とされる。
天理教では、「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。
生涯 寛政10年4月18日(1798年6月2日)朝に、津藩領の大和国山辺郡三昧田村(正確には西三昧田村、当時三昧田村は東西に分割され、東は柳本藩領、西が津藩領だった。
現在の奈良県天理市三昧田町)の庄屋・前川(まえがわ)半七正信の家に生まれる。
『稿本天理教教祖伝』など多くの資料で、幼少の頃からの慈悲深さと同情の心の篤さ、信仰熱心といった記述が多い。
前川家は浄土宗の檀家であったので、その感化を幼時より受けて浄土宗の熱心な信者となった。
浄土宗の尼僧になることを希望し、19歳の時に中山家の檀那寺であった勾田村(現・天理市勾田町)の善福寺にて五重相伝を受ける。

なかやまみき [生]寛政10(1798).大和[没]1887.2.18.天理市天理教の教祖。大和国山辺郡三昧田村(奈良県天理市)の庄屋前川半七,きぬの長女として生れる。13歳で中山善兵衛にとつぐ。天保9(1838)10月26日みき41歳のとき,人間世界の創造神(親神天理王命)の神意伝達者である「やしろ」となり,以来,家財を貧しい人々に施し,神のいわれた「貧に落ち切れ」を実践。1887年で亡くなるまでの50年間,世間の迫害干渉にも屈せず,神意をのべ伝え人々を教化した。その教えは,天理教の儀礼である「かぐらづとめ」の地歌である『みかぐらうた』,さらに教義歌である『おふでさき』という直筆の書に記されているほか,『おさしづ』にも言葉が筆録されている。また,天理教では,みきの後半生50年の道を人間の生きるうえでの「ひながた」としている。 (引用元 コトバンク)

「中山みき」と関連する人物(故人)