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嘉納治五郎(かのうじごろう)

柔道家[日本]

1938年 5月4日 死去肺炎享年79歳

嘉納治五郎 - ウィキペディアより引用
嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日(万延元年10月28日) - 1938年(昭和13年)5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。
兵庫県平民。
講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。
「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。
生涯 生い立ち 1860年12月10日(万延元年10月28日)、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治朗作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。
嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があった。
その長女・定子に婿入りしたのが治五郎の父・治朗作である。
初め治作は治朗作に家を継がせようとしていたが治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を務め和田岬砲台の建造を請け負い勝海舟のパトロンともなった。